修験道の寺院、寺子屋を経て今は歴史的な文化財として残っている清学院へ行って来ました。入館料は100円とかなりリーズナブルです。堺観光モデルコースに含まれている場所なので一日にたくさんの場所を観光することを考えるとのこの金額はありがたいですね。
実はこの場所には堺観光ボランティア(私は黄色いおっさん・おばさんと呼んでる)がいることが多く、受付で入館料を支払ったら観光ボランティアの人が待ってましたたばかりに案内を始めます。これがまあ長いんですよ。ただ流石に詳しいのでこの場所の歴史に興味があるなら耳を傾けてみることをオススメします。
入館料を支払うと最初に外に出される
受付でお金を払って堺観光ボランティアに説明をお願いすると最初にいきなり建物の外へ出されます(笑)
建物の造りの話や屋根の梁の話など結構マニアックな話をしてくれます。なにげにこの説明結構長いので真夏は地獄の暑さをガマンしないといけません(笑)
アサヒビールの創始者の話を聞ける
生まれてからずっと堺で過ごしてきたんですけど、そんな馴染みの街がなんとあのアサヒビールの創始者である鳥井駒吉がいたそうです。そもそもその人の名前自体を初めて聞いたんですけどね(笑)
堺には元々酒造が結構多かったらしいですが、今となってはほとんど廃れてしまって残ってる酒造関係の会社は僅かみたいです。
その辺りに関する細かいことも黄色いおっさんこと堺観光ボランティアの人が教えてくれますよ。
寺子屋時代の硯に趣がある
受付の横が6畳間くらいの広さになっていてその奥に寺子屋時代の机が並んでいます。
机を見てみるとかなり小さいです。奥に見える教師用の机も小さいのでその辺りからやっぱり昔の人達は体格が小さかったんだなってことを改めて感じます。
勉強道具などを触ることはできませんが、直ぐ目の前で見ることができるのでまじまじと見てきました。硯の中心がかなりくぼんでいます。これってやっぱり毎日墨をすってたからこんな風になったんでしょうかね。私が小学生の時に使っていた書道道具とは全然使い混み具合が違うなとしょうもないことを考えながら見ていました。
これはそろばん。昔そろばんも教えてもらったことがあるはずなんですけど今や全く使い方がわかりません。私のおばあちゃんはこんなのを普通に使ってたらしいです。
先生用の机には筆も置いてありました。私達が使ったことがあるような先細りの形の整った筆とは随分見た目が違うような感じがします。それとも使い込んだらこんな感じになるものなんでしょうかね。
汗だくで護摩焚きするおっさんが見える気がする
寺子屋スペースの奥へ行くと修験道の人が護摩焚きする場所があります。ちなみにこの写真は建物の外からこの場所を覗けるようになっている小窓から撮影したものです。写真には写っていませんが上の方に不動明王や色々の像がありました。
実際には案内の時に中から見せてもらえて説明をしてもらうことができるのでしっかりと見ることができますよ。写真は外からのものしか撮ってなかったので。
今でも水が出る井戸は懐かしい
多分現在30代の人達はものすごく小さい時にどこかで見たことくらいあるんじゃないでしょうか?私が子供の頃住んでいた場所にも近所にこれと同じようなポンプ式の井戸がまだありました。
その当時は何も考えずにシュッポシュッポと水を出して遊んでましたけど今となってはこんな井戸はあまり大阪では見ないですよね。清学院の井戸は現役で水が出ますので体験してみてください。